お菓子の中の干しぶどう

サード・プレイスという言葉があります。「第3の居場所」という意味です。具体的には、家庭、職場(学校)のほかに持つ 自分が楽しみに所属できるコミュニティのことです。

例えば、常連客として利用しているジム、趣味を楽しむサークル、時間が過ぎるのをゆるゆる楽しむカフェ、コワーキングスペースなど。行き着く先はいつもここ。何となくほっとする「場」こそ、あなたにとっての「居場所」です。

なぜこんな話をするかと言えば、私は、習い事・教室もひとつの「居場所」だと思っているからです。習い事・教室は、自分の意思で定期的に通う場所です。れっきとしたコミュニティなのですね。今回は、この「居場所」をテーマにフースラーさんの面白い言葉をご紹介したいと思います。

目次

■ お菓子の中の干しぶどう

こんな言葉があります。

「菓子の中から干ぶどうだけをとり出す―いちばんいいものだけをとる」タイプ(※)

こちら、フースラー先生が著書『うたうこと』の中で、教師をコロコロ変えるなというお話をされていたときの言葉です。フースラーさんは、「あんまり多くの教師を変えることに対して、強く注意をうながしたい」と説明したあと、歌手の中には「菓子の中から干ぶどうだけをとり出す―いちばんいいものだけをとる」タイプ。言いかえると、「種々雑多を極めている流派から、それぞれの『トリック(術策)』を集めようとするタイプ」がいると伝えます。

いや、わかるんですよ。それが身にならないことだって。このタイプの動機といえば、コスパなんです。美味しいところだけをかいつまんだ食生活でも、健康が作られると思い込んでいるのだから。自分のからだと真剣に向き合っていませんから、学んだことが身になっていくとは思えません。

問題は、そうではないタイプが、つまみ食いをせざるを得なくなった場合。腰を据えたくても、そもそも腰を据えられる「場所」がなく転々としてしまう場合です。自分に合う教室がよくわからない。先生との相性がよくなかった。金銭的な事情。引っ越し・怪我・病気等で勉強が中断してしまった。教室がクローズしてしまった……。

お菓子の中から干しぶどうだけを取り出そうなんて、そんなこと私だってしたくない!私は、コスパ野郎と一緒じゃないんだよ~!!そう海に向かって叫びたくなったあなた。「居場所」を考えてみませんか?

■ 何かを続けたいと思ったら

私には、コミュニティマネジメントという分野を勉強していた時期があります。この分野では、人と組織のWin-Win 関係 を考えます。

例えば、仕事が続かないという人は、職そのものが合わないというより、職””が合わないことも多いのです。人間関係が上手くいかない・合わないために居心地が悪かった。そのために、本来持つ自分の良さを発揮できなかった。報酬・待遇に不満があり、ここは自分がいるべき「場」ではないと見切りをつけた等。

一方で、長続きする人って、人間関係がよかったり、自分が満足する仕事・役割を与えられていたり、ほどよく期待されていたり、感謝されたりして、「ここは自分の居場所だ」と感じられることが多いのです。

このように考察して見えてくるのが、「何かを続けたいと思ったら、まずはそこを自分にとっての『居場所』にしてみる」という解決策です。この居場所にしてみることを「居場所づくり」なんて言います。

■ 居場所である、居場所でない

居場所の要素って、こんなものがあると私は考えます。

【居場所である】

  • ほっとする(場所、人、コト)
  • 緊張しない
  • 沈黙も心地いい
  • 素でいても許される
  • 自分に話しかけてくれる人がいる
  • 自分がするべき役割が明確にあり、自分の裁量とペースで進められる
  • 大きな声で笑える

逆に、居場所ではないと思えるときって、こんな要素があります。

【居場所ではない】

  • 自分だけアウェイな気持ちになる
  • その場にいる人たちとあまり目が合わない
  • 相手が自分に遠慮がちに話しかけてくる
  • その場を離れるとほっとする(緊張がほぐれる、解き放たれたような気分になる)
  • 周りに本来の自分とは違う性格・性質だと思われている
  • つい自分の役割にしがみついてしまう
  • 値踏みされているような気がする
  • 無駄話がない

自分を上手く表現できないときって、案外「場」が合わないだけの場合も多いのです。だからあまり自分を責めずに、上記の表を参考に「どうやったら合う場所が見つかるかな?」と思考の方向性を変えてみるのもよいですよ。

■ 居場所づくりのポイント

居場所づくりをする際にポイントとなるのが、以下の3点です。この3点が満たされると、そこが自分にとってほっとする居場所へと変わっていく可能性が高いと、私は考えています。

  1. コト

「人」はわかりやすいです。その場にほっとする人がいたり、仲の良い人、憧れの人がいたりすると、その人に会うために通うようになります。

「コト」もわかりやすいです。ひとつは仕事(シゴト)。仲がいい人がいるわけでもないけれど、仕事は合っている。坦々と自分の仕事をこなせるこの場所が好き。気が楽だし、ほっとする。目的の「コト」を自分のペースでこなすために通うのです。

「モノ」は住環境です。音に敏感な人が、騒音の多い場所にいられないといった感じです。ここ寒すぎてダメ。椅子が合わなくてそのカフェを使うのをやめた。足が悪くて階段を使えない。外国に行って、食べ物が合わないのと似ています。

この3点すべてが満たされていなくてもいいのです。どれか1つがしっかり満たされていたり、それぞれがまあまあ満たされていても、居場所となっていく可能性が高いです。

■ 何だかんだで「人」は強い

その中でもやはり「」ですね。人のあたたかさは、人を癒します。家庭でも、待っていてくれる人がいたり、温かく迎え入れてくれる人がいるから、家に帰ろうと思えるじゃないですか。ケンカが多かったり、暴力があったり、無視されていたりすれば、帰りたくない=居場所ではないと感じていきます。

先ほどの表からも「人」の大きさを知ることができます。

【居場所である】には「自分に話しかけてくれる人がいる」という項目がありますが、【居場所ではない】には、「自分に遠慮がちに話しかけてくる」「無駄話がない」といった殺伐とした空気が伝わってきます。

人間には「」があります。私たちは、人が持つ「心」に共鳴しやすい生き物です。同じ"質"を感じ取るから、ほっとするし、安心して自分をさらけ出せるのですね。

ちなみに私も、「人」に会えることを楽しみにコミュニティに通うタイプです。どの職場でも、習い事・教室でもそうでした。大好きだった教室は、そこにいた生徒の皆さんはもちろん、先生の口癖、声色、しぐさ、色あせることなく鮮明に記憶しています。時々思い出しては、夫に「こんなことあってさ」なんて笑い話をすることもあります。

私にとって習い事・教室は、自分に愛情がたっぷり注がれる「居場所」。そうして注がれた愛があったからこそ、今こうして自分も教室運営をしているのかもしれません。次回も生徒の皆さまにお会いできるのを楽しみにしています。

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※『フレデリック・フースラー/イヴォンヌ・ロッド=マーリング 著   須永義雄/大熊文子 訳『うたうこと 発声器官の肉体的特質―歌声のひみつを解くかぎ―』音楽之友社 142頁29行目~143頁2行目

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