歌声のボイトレと話し声のボイトレは違う?←同じです!!
こんにちは!ボイストレーナーのなかむら詩子です。
突然ですが・・・
- 歌声のボイストレーニング
- 話し声のボイストレーニング
この2つの"ボイストレーニング"は、違うと思っていませんか?
答えは【同じ】です。
しかし実際は、違うと勘違いされている方が非常に多いです。
今回は、歌うことと、話すことの"ボイストレーニング"が同じである理由を解説させていただきます。どうぞ最後までお読みいただければと思います。
目 次
01|声音と語音
▼ 声音
そもそも"ボイストレーニング"とは、声の土台とも呼べる声音(声そのもの)の質を「よく」するトレーニングです。
まずはどうぞ下のイラストをご覧ください。

私たちの声の土台ともなっている声音は、言葉を覚える前の赤ちゃんが、オギャア!!と泣くような音色です。ああ~と深く吐く溜め息、咳払いなどもそうですね。
いわば、原始的な母音ともいえる声の"音"そのものであり、言葉を覚える以前から、私たちが出すことのできる音色です。
歌声はこの声質を使っています。
▼ 語音
一方、語音という音色があります。簡単にいうと話し声です。これは、
声の土台である声音が、共鳴腔のいろんな運動によって「変化」を加えらえれた音です。
私たちは、言葉を覚える以前から、声そのものを出すことはできるのですが、言葉を話すために、言葉の"音"をわざわざ作り出したというわけです。
- 「おはよう」という"音"
- 「Good morning」という"音"
- 「Buongiorno」という"音"
- 「早上好」という"音"
語音は、声音を土台に"変化を加えた声"というわけです。
02|言葉づくりによって「声音」は開発できない
もう一度、イラストを見てみましょう。

声音は一次的な音。語音は二次的な音です。
まずは声があり、その次に言葉があります。これはまさに、言葉づくりによって、声の土台は開発できないことを示しています。
ですから、歌声でも話し声でも、声の質を「よく」するのなら"ボイストレーニング"なのです。そしてその内容も、何ら変わらないというわけです。
変わるとしたら、それはボイストレーニングではなく、話法、芝居、ボーカルトレーニングなどと混同されているのではないかな?と思われます。
一度、話し声を「よく」したいというがレッスンにいらして、別に歌をやりたいわけじゃないんですよね~と呟かれたのですが、まさに混同し、勘違いされている典型的な例だなと思いました。
喋っているだけじゃ【声】は開発されません。
そういう方は、まずは混同し、勘違いしている点をクリアにすることから始めないといけません。これが結構、骨が折れる作業なので、私はこうしてブログで啓蒙活動しているわけです。
回り道をして時間もお金も無駄にしないためにも、ボイストレーニングは技術ばかりでなく、知識も身に付けましょう。
03|声の土台が弱いのはなぜ?
歌声でも、話し声でも、「声が出ない」のは声の土台が弱いからです。
ではなぜ弱いのか?毎日こんなに喋っているのに不思議ですよね。
声音と語音を「家」に例えて説明すると、
二階ばかりを頻繁に使って、一階をほどんど使わなくなったから
です。
人間のからだは、使わないと"使い方"を忘れていってしまいます。使われなくなっていった一階の筋肉が、萎縮してしまったのです。
それと、人間らしい表現を楽しむよりも、モラルを守ったり、行儀のよさが求められるようになったことも萎縮の原因です。
大きな声での感情表現を"はしたない"とみなしたり、男性は太い声、女性は高くてか弱い声といった考え方も、私たち声を抑圧し、声の土台を使わなくさせます。
いっぱい笑って、いっぱい声を出してくださいね。私たちボイストレーナーは、むしろ日々の抑圧をボイストレーニングによって、解放させることが仕事です。
私もレッスンでは、稽古は真剣に行いますが、いっぱい笑っています。

以上が、歌うことと話すことの"ボイストレーニング"は同じという理由です。
ちなみに、話法を覚えたい、芝居を覚えたいというなら、ボイストレーニング教室ではなく、まずは専門学校を探してみるとよろしいかと思われます。
最後に、あなたのボイトレライフが今よりもっと充実しますように!
参考文献
フレデリック・フースラー/イヴォンヌ・ロッド=マーリング 著 須永義雄/大熊文子 訳『うたうこと 発声器官の肉体的特質―歌声のひみつを解くかぎ―』音楽之友社 (2019年)10頁14行目~11頁25行目、122頁21行目~124頁3行目










